壮絶な旅の始まりはここから・・・第1章「キッカケ」後編

壮絶な旅の始まりはここから・・・第1章「キッカケ」後編

今現在、インターネットで、普通なら出会うことのできなかったような人と出会うことができ、簡単にコミュニケーションをとることができる時代。身近な人に言えないことでもネットで知り合った人には言えるみたいな。この記事がどこかの誰かの為になれば良いなという気持ちを込めて綴ります。

まーとです

前回の続きを綴ります

続き・・・

時間と共に現実を受け入れていくことはできるもので、進めていかなくてはいけないことがあるわけで。

死人にクチナシというが本当にそうだけど、何も解らないまま残されたものの辛さ、もある訳です

母の実家は今僕が住んでいるここ名古屋。母の兄弟は多くて、確か8人くらい(曖昧ですいません)で一番下の末っ子
父の実家は四国の高知県。兄弟は3人で一番下の長男末っ子

父が親戚中に電話で事情を説明し、葬儀の手配などをしている大変な中、僕はもういっぱいいっぱいで気持ちを落ち着けるというか、現実を受け入れるためというか、逃げたかったのか、よう解らんけど家から外へ出た。僕のこと心配してくれて駆けつけてくれた妻と一緒に。

実家から歩いて10分ほどにある小規模のショッピングモールみたいなお店があり、そこへ向かった。

そういえば、このお店は僕が幼稚園児の時に母と自転車でたまに来ていたお店で、店舗の一つに名古屋の人なら誰もが知っている「スガキヤラーメン」があり、この店に来たら食べる!みたいな感じだった。子供の頃の楽しみの一つみたいな、そんな記憶が蘇ってきた。

お腹は空いていなかったけど、休憩できるような場所もないしで、スガキヤラーメンに行くことにした

ラーメンを注文して待つ事数分、ラーメンを取りに行って、一口食べたその瞬間!
昔よく食べた懐かしい記憶が眠っていた母との記憶を呼び覚ますかのように、過去の母との思い出が次から次へとあるれ出てきた。内からこみ上げてくる思い出がグルグルと僕の周りを回りながら溢れだすように… 涙も一緒に溢れでてきた

幼稚園の時のお弁当を食べやすいようにと一口サイズのおにぎりにしてくれてたよな…とか、小学生の頃、サッカーの試合を見に来てくれたよな…とか、中学生の時、髪を金髪にした時は何も言わずにニッコリ笑ってたよな…とか、走馬灯のようにとはいうが、まさにそれで、色んな沢山の思い出に包まれすぎて、辺り構わず店内で子供のように泣きじゃくった。

こんな僕をそっと見ててくれている妻に僕は泣きながらこう言った

まーと「僕も母と同じで思ってることを言わなかったりするところがあるから、これからは何かあったら話すようにするね」

妻「私の家族ではみんな何でも話すし、お互いのことを何も知らないのは信じられないし、お母さんきっと孤独で寂しかったんだと思う」

確かにそうだと思った
やっぱり僕の家族は何かが違っているのかもしれない…

普通ではあり得ない事が起こっている訳だし…

妻は僕のどこを好きで結婚してくれたのだろうか…この先、支え合って生きていくことは出来るのだろうか…
そもそも僕は本当の自分を見せているのだろうか…

いろんな自分が崩れていった。

価値観が崩れていった。

普通と思っていた事が普通では無く、母の死という”キッカケ”が僕の中の自分という人間像を溶かしていった。

砂で作った固まった山に、とつぜん豪雨の雨が降り、元の砂に戻していくように…

平らな平地に戻していくように…

「キッカケ」後編  終わり

まだ続きます

読んでくれてありがとう!

※この文章は『直感的に書く』と言うことを心掛けていますので、文字の間違いや文書の組み立てなど、気になるところがあるかと思われますが、私的に『直観的』を大切にしていきたいので、ご理解頂けたら嬉しいです。

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